「山名町」の地名のあるこのあたり一帯は、室町時代の「応仁の乱」(1467-1477)の際、「西軍」を率いた山名宗全の邸があった場所とされます。戦乱ののち、各地から織物職人が戻り、その後西陣織の産地として栄えました。

 

藤田家はその西陣の中心に位置し、織物製造業として大正から昭和初期にかけて西陣の中でも屈指の織機を有しました。その結果手狭になった店(現在の東棟)に接する家を買い、当時の当主の義父、喜多川平八(人間国宝・喜多川平朗の父)の趣向に添って、最高級の木材を使い、地袋、天袋の引手を杼(ひ。織物の横糸を通す道具)を模してつくり、それぞれの部屋のための道具を用意するなど、贅を極めた室礼が施されました。

伝統的な町家の風情を残す東棟と、細部まで施主がこだわって建てられた西棟。藤田家住宅は、それぞれの空間に見ることのできる職人魂、そして、そこから感じられる人と人との信頼関係、その中で確かにそこに生きた人々があって、西陣織が受け継がれ、今日の京都の文化があることを物語っています。

 

2019年、母屋としていた部分を改築。1日1組のお宿「京都西陣 藤田」として、西陣の伝統や京町家を堪能いただける宿泊施設をご提供しています。